あるシンガーソングライター

2024 - 12 - 13

アラームが鳴る。
目を覚ますと、僕は人一人が寝られるだけの簡素なスペースに転がっている。
日中のじっとりとした暑さに酷く疲れた僕は、ドミトリーに着くなり仮眠を取っていたのだ。
急いで出なければ危うい時間になっている。貴重品をまとめたサコッシュを肩にかける。ふと、なんとなく悪い予感がして、折り畳み傘を握りしめ、狭い個室を出た。

外に出ると強い雨が降っている。勘が当たることもあるのだなと思いながら最寄り駅へと向かう。道中は水たまりだらけで、僕が眠り初めてすぐに雨が降り出したようだった。
思いの外ゆっくりとした電車に揺られ、渋谷から下北沢に到着した頃には開演時間が迫っていた。
名前だけはよく耳にするものの初めて降り立つ土地に方向感覚を狂わされながら、古着屋が立ち並ぶ通りを抜けて会場へと急ぐ。

そうしてなんとか開演10分前に辿り着いたのは、小さな喫茶店にしか見えないライブハウスだ。
扉を開くと、外見通りの狭い店内には既に人がひしめき合っている。
カウンターで料金を払ってドリンクをオーダーし、そのまま奥の席に座る。僕の真後ろの窓の外では相変わらず雨が降っている。

声がした。

店主と話す穏やかな声。十数年前から、CDで、iPodで、ストリーミングで聴き慣れた声が、カウンターの奥から聞こえてくる。

目を向けると、同じ空間にその人がいた。

この記事は
推しコンAdventCalendar2024オバケやしきーバーリ・トゥードAdventCalendar2024の13日目の記事です。

十数年来好きなアーティストについて

今年、生まれて初めてシンガーソングライターの高橋徹也氏のライブに行きました。
十数年、度々好きなのだと言及しておきながら一度もライブに行ったことがありませんでした。
きっかけは長い付き合いのフォロワーさん達が、それぞれのお好きなバンドのライブに通い詰めている様子をTLで眺めていたことです。
自分もそんな風に音を浴びたい、と思いました。
その時、長年好きで、そして頻繁にライブを行っているということも知っているのに、高橋徹也氏のライブへ行ったことがないな、行くなら今なんじゃないか、と思い立ち、丁度仕事が休みの日に開催されるライブを見つけ、突発で行くことに決めました。

7月31日 下北沢lete 『夕暮れ 坂道 島国 惑星地球 # 67』

セットリスト

  1. My Favourte Girl
  2. スタイル
  3. Blue Song
  4. 星空ギター
  5. 角の向こうでワルツ
  6. ユニバース
  7. 夜明け前のブルース
  8. ブラックバード
  9. 夏の出口
  10. 花火
  11. 夕暮れ星
  12. feeling sad
  13. 八月の流線形
  14. 真夜中のドライブイン
  15. いつだってさよなら
  16. 犬と老人

高橋徹也氏にとっても初の生音ライブが、自分にとっての初めて聴きに行ったライブとなりました。
会場である店内が本当に小さな喫茶店というような面積だったのですが、だからこそマイクがなくとも声とアコースティックギターの音で空間が満たされ、耳だけでなく肌の表面からも浸透していくような感覚がありました。
声とアコースティックギターだけなのに、感じる情報量が異様に多い。
「目の前のこの人が高橋徹也なんだ」という視覚情報による興奮もあったのかもしれませんが、音の密度そのものがとてつもなく濃かった。
初体験がこのライブだったのは本当に幸運なことだと思っています。
夜明け前のブルースを聴くことができたのも嬉しかったです。ライブでやるタイプの曲だったんだ…。

このライブでの存在感や迫力にあてられ、「ギター一本でマイクもなしにここまでやる人のバンド編成のライブというのはどのようなものなんだ…?」と思ったときには、次のライブのチケットを取っていました。

9月21日 Star Pine's Cafe 『ALL-TIME FAVOURITE』

セットリスト

  1. My Favourite Girl
  2. スタイル
  3. The Next Song
  4. 愛の言葉
  5. ユニバース
  6. 怪物
  7. 人の噂
  8. シーラカンス
  9. 最高の笑顔
  10. 新しい世界
  11. チャイナ・カフェ
  12. 大統領夫人と棺
  13. 真っ赤な車
  14. 真夜中のドライブイン
  15. 花火
  16. 犬と老人 Encore
  17. 夜明けのフリーウェイ
  18. 友よ、また会おう

会場であるStar Pine's Cafeの27周年ライブであり、高橋徹也氏の28周年ライブでもあります。
ギター、ベース、ドラム、そしてペダルスチールというギター兼シンセサイザーというような不思議な楽器を含んだ編成でした。
無知なので今回のライブで初めてこのペダルスチールというものを知ったのですが、非常に表現の幅が広く、面白い楽器でした。愛の言葉にすごく合う。
人の噂〜真っ赤な車のようすのおかしい曲固めでニッコニコになってしまいました。
この流れで聞くと大統領夫人と棺がすごくしっくり来る。
元から割とノリノリのナンバーなチャイナ・カフェがよりダンサブルになっており、ライブならではのその瞬間の編成でのオリジナリティの面白みを強く感じました。
初期楽曲についてはアルバム収録バージョンに比べ、ドラムの密度がとんでもないことになっているのがより神経質な雰囲気を醸し出しているのも非常に好みでした。

これらのライブを聴きに行ったことで、今回、改めて高橋徹也氏について書いてみようと思いました。

唯ぼんやりとした不安

芥川龍之介の遺書に記された唯ぼんやりとした不安というワードを見聞きしたことのある方も多いと思います。
自分にとって、高橋徹也氏の楽曲は、自分の中のそういったただぼんやりとした不安(或いは実際には理由が分かっていながらその根源から目を背けることでぼんやりとさせている不安)の形を曖昧にしたまま寄り添ってくれるような、そういったものです。
理由もはっきりせず(させず)、拭い去ることもできない、薄っすらとした居心地の悪さがそこにあり、それに共感します。
ただこちらが勝手にそう思い込んでいるだけかもしれませんが。

マイルストーン

高橋徹也氏をきちんと追っている方によると、アルバム等に収録されておらずライブでのみ披露されている楽曲が多々あるようです。
ここでは、これまでに出たアルバムを彼の音楽活動のマイルストーンとし、それぞれから好きな曲をいくつかご紹介したりしなかったりしようと思います。
いずれも個人の感想・解釈であり、自分自身の感情が大なり小なり載っています。
また、ただ享受している素人の目線なので、音楽の理論的なことには明るくないことをご留意願いたいです。

POPULAR MUSIC ALBUM(1996年)

配信で聴けます
メジャーデビューアルバム。
続く2作に比べ全体的に爽やかな印象です。あくまでも印象です。
日常の中のズレやちょっとした不安を爽やかに歌い上げられる引っ掛かりがむずむずします。

傷ついたままの君が好き

POPULAR MUSIC ALBUMは全体的に変わることができない自分と変わっていく他人の対比が多い(とはいえ以降の楽曲もそういうテーマは頻出します)ですが、これは特にその傾向が強いと思います。
傷ついたままの君が好きではまだその点を開き直れておらず押し付けがましい身勝手さがあるように感じます。
軽快なトーンでこういうことを歌うところが好きです。

欲しいものは、何?

自己矛盾によって真綿で絞められていくような気持ちになります。
身から出た錆で緩やかに破滅するような曲をこんなに爽やかに歌い上げることができるのか。
ブラックコメディとかそういうものに近いのかもしれません。

夜に生きるもの(1998年)

配信で聴けます
ベッドタウンとセットで扱われることの多い、暗く、ようすのおかしい楽曲の多いアルバムの1枚。
自分が初めて手に入れたアルバムがこれです。
そのため強い思い入れがあり、収録曲の全てが好き過ぎて他のアルバムも買い揃えていくことになったきっかけとなりました。
アルバムジャケットの不穏ムードに反し、1曲目は真っ赤な車という疾走感のある比較的キャッチーな楽曲で始まるのが取っつきやすくギャップがあります。言うても真っ赤な車も強迫観念の塊みたいな曲ですが

ナイトクラブ

まあたらしいヴァイナルを聴こうでも取り上げたチャイナ・カフェに、表題作とともに収録されている1曲。
チャイナ・カフェもこの夜に生きるものに入っています。
居心地の悪さやそれによる被害妄想の煮凝りのような曲です。
嫌な考えが頭の中をぐるぐると巡っているときのぐわんぐわんとした感覚をそのまま音楽にするとこうなると思います。
そして夜に生きるものはそういう楽曲のパターンが豊富。

いつだってさよなら

ピアノサウンドに乗せ淡い恋心のようなものを歌われたと思ったら2題目に入り同じトーンで急に執着を出してくる。
オタクはそういうのが好き。
思い込みの激しそうな感じの歌詞がすごく好きです。
このピアノバージョンは夜に生きるもの独自のアレンジで、他のシングルやアルバムには本来の爽やかな曲調のバージョンが収録されているのですが、個人的にはこれが最も切なさが強くて好きです。
好きなので言葉を尽くして紹介したいのですが好きすぎて語彙力が消えてしまう。

ベッドタウン(1998年)

配信で聴けます
物語性が強く感じられるアルバム。通しで聞くと一日を感じます。
悪夢の余韻が残り気だるい朝の目覚めで始まり、日中は空が太陽が透けて見える程度の薄い雲に覆われ身の回りの陰影がぼやけた状態で過ごし、もう日も暮れようとしている今になって晴れ間が見えてきた中ノスタルジックな夕日を眺めて終わるような、そういう一日です。

シーラカンス

考え事ばかりしてしまって眠れない夜の脳内の騒々しさ。
この人はどうしてこんなにも頭の中を掻き乱されている感覚を音楽で再現するのが上手いのでしょうか。
クリアなハイトーンの伸びやかな歌声はかえって病的な印象を与えます。

かっこいい車

街中で格好いい車を見かけたらつい口ずさんでしまう曲。
自分の現状に納得がいかない苛立ちを感じます。なのにすごくポップ。
ようすもおかしい。

笑わない男

またようすのおかしい曲を選んでしまいました。
チャイナ・カフェと共通の進行というかアレンジがあるということで対として扱われることの多い曲です。
好きな曲なのですがこういった機会に紹介するため考えながら聞き直していると二十歳なりたての頃に自分がウェイ系に合わせて無理している最中そんなことはお構いなしにマイペースを貫いていた人物への身勝手な苛立ちを思い出して罪悪感で胃が痛くなってきました。

NIGHT & DAY, DAY & NIGHT(2002年)

ここからしばらく浮遊感の強いアンビエントなサウンドが続きます。
渋谷系という分類であることを感じさせられたのはこのあたりからです。
夜に生きるもの・ベッドタウンは近年抱合せで復刻しましたが、以降のアルバムは入手困難なものも多いです。
収録曲の一部はSoundCloudで配信されているので、SoundCloud上にあるものはアルバムの雰囲気の一例として貼っていきます。

星空ギター

タイトルや歌詞の割には、夏の19時頃にようやく日が落ち始めたくらいの印象の曲です。
ゆったりとした長調の柔らかな音が紺碧の空と黄金色の地平線の帯を想起させます。
高橋徹也氏の歌う夕暮れはなんとなく諦念を感じさせられます。

意外な人

変わらない日常の中に新鮮さを求める曲。
夜に生きるものの新しい世界に比べると普通の暮らしに慣れた雰囲気がありますが、そんな中でも面白みを求めてしまう性を感じます。

REFLECTIONS(2004年)

金沢では感じる機会のない、柔らかな日差しとからりとした風が肌を撫でるような初夏を思わせるアルバム。
全体の曲調には初夏を通り越した梅雨っぽい湿度はないのですが、どことなく倦怠感が漂っています。

もういいかい

好みの曲をピックアップするとどうしてもノスタルジックな雰囲気の楽曲に偏ってしまうのですが、これもそうです。
高橋徹也氏の楽曲には時代を問わない(どの年代に作られたのか曲調だけではピンとこない)やたら鋭利な手触りの曲と、やけに懐かしさを感じる曲とがあるのですが、このもういいかいは個人的感覚では後者です。
ベッドタウンの世界はまわる等と同様、自分だけが取り残されたままであるような気持ちにさせられる曲です。

憧れモンスター

最新曲の怪物を聴いたときに真っ先に連想したのは、高橋徹也氏本人が意識していると明言した夜に生きるもの・ベッドタウンではなく、この曲でした。
可愛らしいメロディやエフェクトがかかっているのに羨望が膨れ上がって穴が開いてしまい、じんわりと萎んでいるような印象。
自分の状態を認識できているのに認めたくなくてギリギリで踏ん張っているようです。
特有の強迫観念もまだまだ残っています。

ある種の熱(2005年)

全体的にジャズっぽいサウンドの1枚。
ずっとループさせ、かけっぱなしにしているのが一番好きなアルバムがこれです。
すごく落ち着く。夜の静かなバーで聴きたい。
自分はまだAmazon Musicで音源が販売されていた頃に入手しました。
廃盤なのが惜しいくらい色んな人に勧めて回りたいアルバムです。
ピックアップした楽曲も3曲だけでプレイリストとして回転させても全く飽きないくらいすきなものです。
一番とっつきやすいアルバムだと思うんだけどなぁ…。

5分前のダンス

ステージの幕が上がるようなイントロから始まるジャズナンバー。
夜中に舞い降りたアイデアというミューズに衝動を掻き立てられているような曲です。
高橋徹也氏特有の不穏さが滲みながらも幻想的な美しい描写でまとめられています。
最も好きな曲のひとつ。

夜明け前のブルース

二徹後の酩酊感か?
足元がぐらぐらとして不安定な中ランナーズハイになっているような楽曲。
他のアルバムに別のアレンジもあるのですが、自分はこのバージョンが特に好きです。
鏡の前に立って自分を眺める時は出来るだけ暗い方が都合がいいんだのようなようすのおかしいシリーズ。

夜のとばりで会いましょう

アルバムの締めに相応しい1曲。
他のアルバムもそうなのですが、高橋徹也氏のアルバムの構成はエンディングに持ってくる楽曲の選択が非常に美しいです。
高橋徹也氏のクリアで優しい声色が最も映えているように思います。   題名の通り、夢の世界へと誘ってくれます。

大統領夫人と棺(2013年)

自分がリアルタイムでリリースに遭遇できた初めてのアルバム。
それまではNIGHT & DAY, DAY & NIGHTを除いたPOPULAR MUSIC ALBUM~ある種の熱までのアルバムを延々と聴いていたところに、突然語りの入った作品をお出しされ驚きました。
今になって思うと、ずっと音楽で文学をやっているような方なのであまり違和感がないです。

大統領夫人と棺

アルバム表題曲。…なのですが、正直に言うと先日のライブで聴くまではずっとピンときていなかった楽曲でした。
サビ前に語りパートで声が重なる表現が侵入思考のようなものが再現されているように感じます。
これまでのようすがおかしい系の曲とは毛色が違いますがこれもその流れかなと。
従来の作品では話者の心の動きをそのまま書き出していましたが、この作品では第三者視点で物語っているのが新鮮です。

REST OF THE WORLD -LOST SESSIONS 1999-(2014年 ※1999年収録)

高橋徹也氏曰く1999年に収録したがお蔵入りしていたアルバム。
確かにベッドタウンとNIGHT & DAY, DAY & NIGHTとの間のミッシングリンクといった感じです。
収録楽曲の多くは他のアルバムにも(違ったアレンジ等で)収録されているため、ベストアルバム的な側面もあります。

The Endless Summer(2018年)

終わりなき夏と言いつつもこちらもあまりじっとりしていない夏。
日中というよりは夜風に当たって涼んでいる雰囲気です。
今のような異常気象になる前の関東の夏はこんな感じだったのでしょうか。

微熱

あくまで個人の感想なのですが、この曲に限らず、己の才能に振り回された結果置かれている状況に戸惑っている楽曲もかなり多いように感じます。
その中でもこちらは創作衝動に駆られている方の曲。
「ああもう放っといてくれ!」という曲と「俺は俺で勝手にやるぜ!」という曲とのアップダウンが激しいのも魅力だと思います。

Style(2017年)

雲が薄くあまり暗くない穏やかな雨の日に、窓際でぼうっとしている気分にさせられるアルバムです。
しかしながら1曲目と最後の曲はアップテンポかつ爽快感のあるメロディになっていることもあり、初期の作品のような湿っぽさを感じさせません。
夜に生きるもの・ベッドタウンの雨が肌にまとわりつくものだとすれば、このアルバムの雨はすぐに止む天気雨のような雰囲気です。

スタイル

表題曲。メジャーデビューアルバムのPOPULAR MUSIC ALBUMに入れようとしていたと最近知って非常に驚きました。
歌詞が活動初期っぽくないこともさることながら、編曲の影響もあるのか曲調も全く古びていないので聴いているこちらの時間感覚をしっちゃかめっちゃかにされます。
POPULAR MUSIC ALBUMに入れるには確かになんというか…爽やかながらも刺々しい。

八月の疾走

アルバムラストの楽曲。
明るいピアノサウンドのカラッとした夏の曲で、この湿度のなさはヨーロッパ的な手触りがあります。
八月の暑さで気が狂いそうにはまるで思えないです。 雨も止んだことだしさあ出発しようか、といった思い切りの良さが伺えます。

怪物(2020年)

現時点(2024年12月13日)での最新アルバム。
この記事の冒頭に掲載している写真の通りアナログ盤もあり、盤面の美しいジェイドグリーンがジャケットとよくマッチしています。

怪物

己の中の虎との和解の曲だと解釈しています。
とはいえ、語ろうにも御本人によるコメントが一番良いと思うので、反則技ですがそちらを一読していただければと思います。
高橋徹也の最新アルバム『怪物』。そこにある、彼の渦巻く思いを深掘りする | 音楽と人.com
作者の死とかそういうのよくないですからね。

feeling sad

犬と老人の別のアプローチといった感じでしょうか。
先行する作品が夕暮れの暗がりに幻想を見出している様子であるのに対し、こちらはまだ日が高い印象で、そんな軽やかな昼の情景の中にいながら自分だけ薄い膜で隔たれているような印象があります。
続く友よ、また会おうでは地平線の向こうへ日が沈み始め空が茜色に染まり出すイメージが浮かびますが、feeling sadはその前に雲が太陽の光を拡散し蜂蜜色になっているくらいの時間帯の曲で、雰囲気の繋がり方が美しいです。

自他の壁

過去から現在まで共通しているのは、自己と他者との境界がはっきりしている点だと思います。
以前、「魔人探偵脳噛ネウロのアヤ・エイジアの楽曲が実際にあったとしたら高橋徹也氏の楽曲のようなものだと思う」と例えたことがありましたが、今もその考えは変わっていません。
その断絶性こそが、自分が快く感じている魅力です。
しかしながら、己自身は変わらない・変わることができないというある種の頑固さを持ち続け、その鬱憤を自分自身や他人にぶつけていたのが、時代を経て自分の中で受容できるようになったというような変化を感じます。
心の中心部の扱いが洗練されていっている、とでも言えばよいでしょうか。
今後の活動の中で変わらないままの部分、変わっていく部分、どちらも要注目ですね。

これからも末永く音楽を奏で続けていただきたいです。

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